~ひろく、ゆるく~ かずぴ.diary

【白血病闘病記録】と【好きなこと】あれこれ

家族2⃣

 

僕の父親

建設業に携わる仕事で主に重機オペレーターとして働いていた父。
家は農家で米作りをしていたこともあって、仕事と農業の掛け持ちで僕ら兄弟3人を立派に育ててくれた。

そんな頼もしい父だが、糖尿病を患ってからは週3回の人口透析が必要となった。
透析の日は午前で仕事を切りやめ、午後から4、5時間の透析。
そんな生活が10年以上続いた。

晩年の父は病気の影響による血行不良によって足先にうまく血が巡らず、そのせいで指が化膿して最終的にはつま先部分を切断するほどに至った。その後の生活においてもその痛みがどれぐらいのものだったか、僕にはまるで想像もつかない。
僕が社会人になってからは、運転が厳しくなった父に代わり透析のための送り迎えもした。週3回、迎えに行って会う父はいつもかすれた声で辛そうだった。

 

僕の1度目の白血病発覚時は、父もまだ足は健在。
治療でしんどい僕を心配し、透析のない土日を利用して泊まり込みで看病してくれたことがあった。自分の体も満足いく状態でないのに、そこはやっぱり親だよね、、、
無菌室なのでトイレは部屋の中に併設されているのだが、父は夜中も頻繁に付き添ってくれた。寝付けない時には背中をさすってくれて....何気ないたったそれだけの事がすごく嬉しかった。まして20歳になった自分が父に背中をさすってもらうなんて思ってもみなかったし、ちょっとした恥ずかしさみたいのも心のどこかにあったのかもしれない。

そんな父との別れは突然だった。
仕事にも復帰して順調な日々を送っていたある日、残業で遅くなった僕の携帯に電話があった。就寝のため部屋のベッドに入った父だが、あとから行った母が呼吸のしていない父の姿に気づいた。急性心不全だった。

いろんな苦労があったであろう父の最後は、スーッとした穏やかな終わり方だったんじゃないかな、、最後の最後まで僕自身の体を一番に気にかけてくれた父。
今でも覚えている父の背中は誰よりも大きなものだった。


天国のお父さん。

お父さんが育ててくれた僕の命は、今もいろんな人の支えがあってちゃんと繋がっているよ。これからも家族みんなを温かく見守ってね。 本当にありがとう。