増える不安、減る毛量。
最近?というかもう1年ぐらい経つんだが、
やたら‘‘髪の毛‘‘が抜けるんだな。
GVHDの影響なのか、長期間のステロイド服用が関連しているのか...
ごっそり抜けるほどではないけど
指で摘まんでスッと引っ張ると必ず数本ずつは抜け落ちてくる。
引っ張れば抜けるもんだろと思うかもしれないが、
あきらかに弱い力で引っ張っても抜けるから
頭皮?毛根?は弱体化してるんだと思う。
先日、テレビで医療用ウィッグに関する放送を目にして
実際付けてる人の違和感がほとんど感じられなくてすごい!と思ったけど
自分がもし必要となったときに
簡単に受け入れられるんかなってちょっと考えた。
今はいろんな技術でウィッグ1つにしても精巧な作りになってるし
病院でも外見のケアを専門にした外来もあるしで心強い部分も多い。
もしも...の時の手段はいろいろあるにせよ、
自分の体の変化を受け入れなきゃいけないし
何が原因で髪の毛抜けてんやろなー😰😰
とりあえずストレス溜めないように
近いうち麺活行こう。
■
ー11月9日ー
訪問看護のリハビリdayでした。
あらかじめ朝食後に麻薬の痛み止めを服用し、9時からのスタートに待機。
今回も前回同様1時間程度のリハビリだった。
ベッド上に仰向けになり、膝周りを揉むようにストレッチしながら皮膚や筋肉を少しずつほぐす。膝の真裏と太ももの表は、特に皮膚のつっぱり感がヒドイため入念に行う。
ある程度したら膝上を片手で真下に押し込みながら、もう片方の手でかかと部分を上に持ち上げてもらう。膝の部分を伸ばすことをメインに、時折振幅を与えながら力を掛ける。
自力では掛けられる力にも限界があり、またその向きも重要になってくるためなかなかキツいものがある。実際伸ばしてもらうと、痛みよりも伸ばされている気持ちよさがあって割と良い。
時間のかかる根気が必要なリハビリだが、今よりも意外に伸びそうな傾向が感じられるので何とか継続していきたい。
ー11月10日ー
定期通院日でした。今回は血液内科と皮膚科の受診。
血液検査と皮膚潰瘍の洗浄、処置がありました。
血液検査は数値的に大きな問題はなかった。それもあって前回担当医に確認していたインフルエンザワクチンも今日無事接種する事ができました。
まだステロイドを大量に服用している僕にとってワクチン接種は、打ってもリスク・打たぬもリスク....。
8月入院時は、事前に主治医に確認することを怠ってコロナワクチンを接種してしまった為、今回はその反省も踏まえて。。。
皮膚潰瘍はいい意味で状態変わらず。
悪化はしていないとのことで、今後も同じケアを続けていく方向です。
とまぁ、特に内容のない投稿になってしまいましたが、、、
ちなみに病院の帰りは母親と【はなまるうどん】でdinner🎵
足の悪い僕は杖を突きながらの注文で、会計まで辿り着いたころにはすでに汗だく💦
僕向きの店ではないと痛感しました😢
あと店員のおばさんは、僕のことを母の旦那と勘違いしてたよ(笑)
杖突いてるだけでそんなに老けてみえるんかな....悲しいもんだ。
悲しさはいまも癒えず
誰が悪いとかじゃない、運命がそうだっただけ。
病気がきっかけで2年交際していたパートナーを失った。
体調を崩しては入退院を繰り返す自分を、この先も支えていけるのかという不安。
「体のことが心配だから一緒に居てあげなければならない....と思う自分がいて、今どんな気持ちで付き合っているのか分からなくなってしまった」
別れ話を持ち掛けられた時に、彼女から伝えられた言葉だ。
この数週間前から何となく別れの予兆のようなものを感じていた。
LINEの返信が極端に遅くなったり、お出かけの誘いにも乗り気じゃない雰囲気が簡単に
みてとれた。そんなこともあってなのか別れの話を切り出された際は、そこまで驚きの
感情はなかった。でも、悲しかった。
年下だった彼女。
自分の気持ちを正直に話してくれた彼女に対し、僕は年上として努めて冷静なフリをし
た。心はうまくコントロールしていたつもりだったが、体の反応は違った。ぽろぽろと
涙が止まらなかった。
考えてみればたしかにこれだけの病気になり、まして再発してその治療の経過を目の当
たりにしてきた彼女の心は、僕が想像しているより遥かに大きな不安でいっぱいだった
はずだ。そんな事を冷静に振り返ってみると、別れを選ぶのもなんらおかしな事じゃな
い。この先の長い人生を共に過ごすとなると僕1人の問題でないし、彼女の選択も間違
いでないと思える。
よく耳にする【好きという気持ちだけではやっていけない】ことの意味を実感した。
白血病め、、、おれから彼女を奪ったお前は一生かけて恨むからな👅
家族3⃣
三兄弟
僕は3人兄弟の真ん中。2歳上の兄、3歳下の弟がいる。
兄は消防士(救急救命士)で、弟は会社員。昔から兄弟仲は良く、ゲームをしたりサッカーや野球をやったりと楽しい兄弟だ。その反面、男3人となると日常からケンカも絶えなかった。なぜかケンカの時になると決まって兄と弟は手を組み、真ん中の僕が孤立する。必ずと言っていいほどその構図になり、1人の僕はいつも2人相手に泣かされていた。そんな苦い思い出もあれど、社会人となった今でも頻繁に連絡を取り合う仲だし、個人的にはどこの家の兄弟にも負けない団結心?みたいなものがあると勝手に思っている。自慢の兄と弟だ。
僕の白血病は進行が早かった。本来なら骨髄バンクに登録して移植ドナーを探す流れになるはずだったが、医師からその時間的余裕はないと告げられていた。家族間で移植において重要なHAL型の検査を行った結果、ドナーとして最も適していると判断されたのが兄であった。
1週間ほど入院して兄から骨髄を採取する治療が行われた。消防士という大事な仕事に携わる中で、治療に協力してくれた兄には本当に感謝である。
今こうして生きていられるのも、兄からの移植を受けたお陰。治療に関わってくれた先生たち、家族や友人の支えも大きな力になっている。
入院中は弟も頻繁に見舞いに来てくれた。必要なものがあれば買いに行き持って来てくれて、面会時間が許される限り雑談相手になってつまらない話で盛り上がった。
体が不自由となった今も、仕事を休んで通院に付き添ってくれたり色々と厄介になっている。仕事柄恵まれたガタイの弟だが、不甲斐ない僕が心底頼りにしている頼もしい弟だ。
男3人。
今では2人に世話になる事ばかりだけど
こうして兄弟として生まれたきた運命を嬉しく思う。
家族2⃣
僕の父親
建設業に携わる仕事で主に重機オペレーターとして働いていた父。
家は農家で米作りをしていたこともあって、仕事と農業の掛け持ちで僕ら兄弟3人を立派に育ててくれた。
そんな頼もしい父だが、糖尿病を患ってからは週3回の人口透析が必要となった。
透析の日は午前で仕事を切りやめ、午後から4、5時間の透析。
そんな生活が10年以上続いた。
晩年の父は病気の影響による血行不良によって足先にうまく血が巡らず、そのせいで指が化膿して最終的にはつま先部分を切断するほどに至った。その後の生活においてもその痛みがどれぐらいのものだったか、僕にはまるで想像もつかない。
僕が社会人になってからは、運転が厳しくなった父に代わり透析のための送り迎えもした。週3回、迎えに行って会う父はいつもかすれた声で辛そうだった。
僕の1度目の白血病発覚時は、父もまだ足は健在。
治療でしんどい僕を心配し、透析のない土日を利用して泊まり込みで看病してくれたことがあった。自分の体も満足いく状態でないのに、そこはやっぱり親だよね、、、
無菌室なのでトイレは部屋の中に併設されているのだが、父は夜中も頻繁に付き添ってくれた。寝付けない時には背中をさすってくれて....何気ないたったそれだけの事がすごく嬉しかった。まして20歳になった自分が父に背中をさすってもらうなんて思ってもみなかったし、ちょっとした恥ずかしさみたいのも心のどこかにあったのかもしれない。
そんな父との別れは突然だった。
仕事にも復帰して順調な日々を送っていたある日、残業で遅くなった僕の携帯に電話があった。就寝のため部屋のベッドに入った父だが、あとから行った母が呼吸のしていない父の姿に気づいた。急性心不全だった。
いろんな苦労があったであろう父の最後は、スーッとした穏やかな終わり方だったんじゃないかな、、最後の最後まで僕自身の体を一番に気にかけてくれた父。
今でも覚えている父の背中は誰よりも大きなものだった。
天国のお父さん。
お父さんが育ててくれた僕の命は、今もいろんな人の支えがあってちゃんと繋がっているよ。これからも家族みんなを温かく見守ってね。 本当にありがとう。
家族
病気を通して実感した家族の大切さ。。。
もし今も何一つ不自由なく健康に暮らせていたら、気づけなかったり感じられなかったこともきっと多くあっただろう。
4年前に亡くなった僕の父は、糖尿病を患い10年以上人口透析を行っていた。母はそういう大きな病気の父を支えてきた経験もあってのことか、ちょっとやそっとの事ではあまりあたふたしたりしない。心強い存在だ。
僕が病気の宣告を受けたとき、病院に同伴してくれていたのは母親だった。医師との話は僕1人で聞き、待合室で待つ母にその経緯を話した。動揺する自分に対し母は1つ1つ冷静に話を聞いてくれた。
本格的な治療が始まり自分1人で身の周りのことができなくなると、母は同じ無菌室に泊まり込んで看病してくれた。トイレのために体を起こしたり、冷蔵庫から飲み物を取るにしても動くのがしんどい僕を常に隣で支えてくれた。大きい事ばかりじゃない、こういった小さな支えが何よりも有難かった。
コロナがまだ存在しなかった当時は、週に1度病院まで片道2時間かけて洗濯物を届けてくれた。面会できることが普通だったその頃はそれほど深く考えなかったけど、今ではどこも厳しい面会制限がある中で、家族と会う機会はとても貴重なことになった。
顔を見ただけどホッとする、たったそれだけでも闘病中は大きな励みになることを身をもって知った。
今も通院日は母が仕事の休みをとり一緒に付き添ってくれる。車椅子が必要になったことで、車からの積み下ろしなどをサポートしてくれるのは本当に助かる。病院までの長い移動時間も、母にしか話せないような事を相談したりと今では大事な時間だ。
「お母さん」って色んな意味で偉大だなとつくづく思う。
手段は悪いけど、神様はその大切さを【白血病】を使って僕に教えてくれた。